ママのつぶやき

労働者養成所とか教育虐待とか

先日yahooニュースで見かけた記事で「教育虐待」ということばがあることを知った。

https://news.yahoo.co.jp/byline/yahagikunihiko/20190625-00131482/

多かれ少なかれどこの家庭でも教育熱心な家庭ではそうとは思わずにやっていることだろう。
ましてや低年齢化する受験では本人が望んでいるから、
なんて言葉はやっぱり建前で親の誘導なくしては選択の意識すらないとは思う。

日本の学校は労働者養成所だから、なんて記事も目にすると
本当に何のために大学に行き勉強するのかなあ・・・
高い塾代や学費を負担して何をさせたいのか、したいのか

そんなことを考えながらも結局は決められた枠の中で良い結果を出せるように
子どものテストの点数に一喜一憂してどこの進学先を選べるのだろうかと
気をもんでいる自分がおかしくもある。
枠からはずれる能力と勇気があって彼女が幸せを感じられるのなら何を選んでもいいのだと思う。


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他人本位がわたしの道

娘が高校生になりお弁当生活が始まった。
中学からお弁当の人や私学に通わせていた人に比べたら
給食の恩恵にあずかりずいんぶんと楽をしてきたとは思う。
料理をするのは苦ではない。
むしろ好きな方の部類に入るし過去の習い事の中に料理に関するものは多かった。

それなのにそれなのに、最近の私は食事の支度が延々と続くことにうんざりしている。
またそれを発端としたゆるく私を縛る主婦や女性の役割のようなものにも。
でも、一方でそんな不満を抱けるのも夫という主たる収入者がいるからなのもわかっている。

パートタイムで家計を支え家事と育児の両立のためには通勤時間優先。
仕事内容や職場環境に重きをおくよりいかに日常生活の水準を下げないで
家の中もそれなりに片付いて食事の支度にもほどよく手をかける時間もあり
こまごまとした日々の家事はほぼ自分が負担するような形態がとれている。

結婚生活も長くなると気持ちも変化してくる。
好きだから、相手の願いをかなえてあげたいから
だったものがなんで自分ばかりが仕事も家事も負担しているのだろうかと。
夫はまったく手伝ってくれない訳でもないしむしろ一般的な男性よりは協力的だ。
それでも仕事から帰宅して日々バタバタと買い物や食事の支度をし
翌朝またお弁当から送りだしが延々と続く・・・
子供が巣立つまでのあとほんの数年のことだろうけれど。
出張だ飲み会だと「仕事だから」という盾をだされると帰りが遅いのもあり何も頼めない。

娘も成長するにしたがって当たり前だが家にいる時間は短くなる。
今は高校生活を満喫しお弁当や食事の支度が整い
洗濯や身の回りの用意がされていることも当たり前のように感じているだろう。

そう、私だって実家にいるときは母の犠牲?のもとそうやって生活していたんだ。
フルタイムで働いていた母は自分のことは二の次で。
(でもやっぱり通勤場所だけは近距離だったなあ・・・)
家はいつも散らかっていたし休日はたまっている家事に追われていただろう。
自分はやっぱり娘と同様、家のことも母がどんな気持ちで働いていたのかなんて考えていなかった。

結婚当初フルタイムでお互い働いていた時の家の中も食事もひどかった。
どんなに遅くても買い物して手作りの夕食を作っていた。
バカだなあ、今なら優先順位を考えて毎日お惣菜でいいじゃないと思える。
お互い帰宅は遅く朝も早い。
それでも主たる家事担当者は私だった。
今よりはずうっと若かったし自分がやるのが当たり前だと思っていた。
休日は寝だめして平日できない家事をまとめてやった。
いつも疲れて何のために共働きにしているのかもよくわからくなっていた。

私は今はどこかへでかけてもなるべく食事の時間に都合がつくように帰宅します。
できれば家の中も整っているほうが気持ちもよく
食事だってお惣菜や冷凍食品を食べるよりはすこしは手作りのものが並ぶ食卓がいいです。

家庭も仕事も「家族」を優先してこの十何年過ごしてきました。
じゃあフルタイムで自分の納得した職場で働き子育てと仕事を両立させてのりきればよかったのに
と言われたらそうなんです。
この生活を選んできたのは自分。
でも手元には何も残っていない気がする。
夫には夫の人生が、娘には娘の人生が。
誰かの人生についていくだけのわたし。

娘にはできれば大学生になり仕事にもついて欲しい。
でももし結婚して家庭をもったその先は私のようには生活してほしくない気がする。

男の子がいないからわからないけれど・・・
女の子には相変わらず料理ができる方がいいとか
勉強もできて欲しいと望みながらも
結婚して出産しても続けられる仕事がいいかもね、とかそんな目線でアドバイスしてしまったりする。
今でもやっぱり男性は仕事が主で
女性は仕事をしていても家事のメインは女性が負担といういうスタイルは
今の時代も大幅には変わっていないのだろうか。
もし男の子がいたら仕事をしながら当たり前の様に家事をすることを教えるのだろうか。
どちらがやったっていいんだよ、と。

娘が自分のやりたいことを抑えて
相手にに合わせるばかりの生活スタイルを選んで欲しくないな、と願う。
でもそれにはどうしたらいいのかはわからないし
娘がどういう生活をしたいのかもわからないけれど。


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子は親の鏡

思春期のせいなのか遅れてきた反抗期なのか
娘との関係が変化しているのを感じることが多くなってきました。

以前はそっけないながらも私のしていることに関心をもつような会話も
あったのですが今はもう自分の世界100%
SNSを覗いては他者との比較の時間が始まり
時には模倣して自分を見つめ直し、の繰り返しなのかな。
そして自分とは、私は、と自問自答するそういう時期でもありますね。

そして思うこと。
娘にこうなって欲しい、という希望が強すぎるのかなと。

自己管理が甘く強い気持ちで頑張り続けられないところや
日常生活でも立ち居振る舞いや身だしなみのマナーも
今のままではとても人前に出せるようなものは身についておらずお恥ずかしい限り。

・・・でもふと気がついた。
どこか自分に甘くて目標に対して頑張り切れず楽な方へ流れていくのは私そのもの。
保守的で自己肯定感が低くて…
きっと娘から見たら自分の人生を楽しんでいないのは私なんです。

もっと素敵なことがあるよ、って親が見せられる私の社会の窓はとても小さくて。
だから私の生活を反面教師にして少しでも進んでいってほしいな
と思うのは虫が良すぎるでしょうか。

子育ては夫婦でしているはずなのに
できないことは母親に責任があるような気がしてちょっと苦しくなりました。
成績のことや大学受験に関してもまだ介入しようとしていて
「子供のため」と言いながら自分のためにやっているのでしょう。
この相反する気持ちに高校受験の頃から悩まされています。
自由か干渉か。

実際みなさんのブログを読んでいても
夢や目標があって言われなくても自分で道を進んでいくお子さんのご両親はやっぱり・・・
娘の自主性の芽をつぶしているのは私かもしれないのです。


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受験が招いた夫婦不仲

中学受験で希望校に合格。
小学校4年生頃から準備を進めて手にした合格。
さぞかし希望にあふれた中学校生活が始まっているのだろうと思いきや
やはり進学校はどこも同じか、勉強してもしてもトップクラスに追いつくのは大変。
落ちこぼれないようにと勉強&勉強の日々。

話はそれだけならまぁ大変ねぇ、で終わるのですが
ここに来てご主人の不満がたまってきてしまった模様。
ごく一般的な会社員の家庭で教育熱心な奥さんの主導で
最初は夫婦の意見も一致していたようなのですが・・・

知り合いの家庭の話です。

幼稚園受験を経てかかる学費に塾代。
大学受験が終わるまでは今の生活が続くのでしょうね。
奥さんの話題もお子さんの成績や受験が中心になることが多く
家に帰ってもそんな姿ばかり目にすることが多くなっているのかな・・・
費用面にゆとりのある生活だとまた違った心持ちになると思うのですが
何を一番に考えるかは各家庭の方針でも違いますからね。


私もちょっと反省です。
成績が戻せないなら無価値、というような気分に取りつかれていたのは事実です。
娘の人格否定もいいところですね・・・

親はよかれと思って口出ししたり先回りして準備してあげたり。
それでも度の過ぎたやり方に気がついたら軌道修正する冷静さも持ち合わせていたい。
(あきらめ、とも言う)
きっとこのお母さんも自分で気がつくまでは自分のやり方を変えられないのだろう。
大人も子供も一緒なんだ。
人に言われても変わらない、変えられないのだから。

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